『ANON アノン』AIの発展に警鐘を鳴らす 評価・ネタバレ:動画配信・映画感想あらすじ考察
AIと画像認識による発達した社会がもたらすもの。全ての人の見聞きした記録は当局に把握されているという恐ろしい監視社会を描き風刺したSFサスペンス
あらすじ
AIの発達した近未来の警察で政府一級刑事のサルー。
彼の眼はあらゆるものを、監視できる。世界は一つのネットワークで繋がれ、物と事と、人物の関係性もネットワークされている。

誰かが見た映像と、映っている映像がただちにリンクされ、警察は事件発生時のそれらのログを確認するだけで事件の犯人特定までを時系列に、あらゆる視点から確認出来るのだ。
”眼”は、誰もが共通に繋がるネットワークに直結し、物・人物・過去などは、だれもが望めば直ちに見た記録を映像として再生でき、人物や物同士のコネクションも判断識別されている世界だ。
サルーは、過去に大切な息子を交通事故で亡くしている。その時の映像を記録から撮りだし何度も何度も再生して公開に浸っているのだ。息子との分かれと共に妻とも別れ、一人ストイックに犯罪撲滅だけを目的に生きている。
サルーが、町中で映像監視の画像認識で認識できない謎の女が目の前に現れる。”眼”にはエラーで表示されるのだ。
そんなとき、程なくして街中で犯罪の犯行を特定できない、犯人のわからない犯罪が発生する。事件の捜査線上には、認識できない謎の女”ANON”が浮かび上がる。
ANONは、顧客の記録を改ざんして、記録をねつ造したり、いま”眼”が見ている映像を仮想君間に引き込み、物理と仮想を自由にハッキングできる技術を持っていた。
顧客は、犯罪に手を染めたり、犯罪を消去したい人達だった。
サルーはANONを捕まえるために、おとり捜査を行い、ANONに接触する。
ANONに触れるうちに、自分の真実の一つ一つが(過去の積み上げ記録と、監視データ)いかに脆弱な物かを考え始めるのだった。
その時に、同僚の一人が殺害される。同僚はANONに殺害された記録からサルーはANONを殺人犯として正式に追いかけるが、捜査の途中でサルーが一般人の隣人を殺害した記録が出始め、サルーは自宅謹慎処分となるのだった。。。。。
[showTable]映画情報&キャスト
ANON アノン 2018年 ドイツ・アメリカ・イギリス映画
Anon
監督 アンドリュー・ニコル
脚本 アンドリュー・ニコル
出演者
サル・フリーラン
クライヴ・オーウェン
ANON アマンダ・サイフリッド

近未来のありがちな背景設定
画像認識の発達した世界
AIというよりは、画像認識力が極端に発達した社会で、その画像をネットワークを通じて完全共有できるコモディティ化した社会だと思えばいいだろう。
- 人物の画像認識
- 物の画像認識(メーカー名、製品名まで)
- 絵画の特徴や、画風の認識(おそらく名画か、名のある物なのかの判断まで)
- 人物の音声認識
- ネットワークは一つのネットワーク
- 各個人の見た記録が瞬時に共有できる
- IFは眼に写る動画から、PCを捜査するように入力
★劇的な速度では入力されない - 未来予測は出来ない
- 他人の眼に、リアル世界と違う世界を投射できる
- 走ってる車は現近代的(空は飛んでいない)

警察の仕事それは捜査では無く事実認定
高度に発達した、ネットワーク&画像認知の世界なので、面白いことに犯罪は起こるが発生後に、警察が恐らく監視・検閲権限を持っており、それを行使して犯人を見つけるだけだ。
泥棒しようが、詐欺師用が、殺人を犯そうが、警察はその時のその場所での映像を確認するだけなのが仕事。
高度に発達した社会では、機会やマシンがやることを監視する、ローテクなことが人間の仕事になっていく典型だろう。

アニメ『攻殻機動隊』との共感点
リアルな世界と電脳の世界で行われていることが交差し、様々な不可思議な事件を解決していくのが『攻殻機動隊』である。
本映画は、本質的にはかなりの部分で映画どうし共感する部分があるのでは無いかと思う。

リアルな世界の記録(記憶)を、改ざんしていくだ。
電脳との違いは、電脳自身は記録=記憶だから、改ざんされても認知できないだろうし仮想世界で生きているのかどうかも認識できない。
本映画では、あくまでも画像、見た物の視点なので、
見た物=記録 ≒ 記録と呼ばれているが
脳が覚えている思い出までは改ざんに至っていないので、
この辺の、アンチテーゼ的な設定が、ストーリー性を生んでいるとも言うが、逆に言うとじゃあ、近未来はホームビデオで撮った映像の集合体かと思うと少し残念な気もする。
映画の映像として野心的であったのは、1人称で映すカメラワークの時にはセルフ”眼”の見えているであろう画像に必ずなっているので、その辺は意識して作られているようだ。
怖い未来とその意識 匿名性とは
本作品中で、主人公のサルーとANONのラストシーンがある
この会話は面白い。
サルー
「何故、存在を消したい?
隠すから追われるんだ、秘密は何だ」
ANON
「プラバシー侵害は許されて、プライバシー守るのは罪?
あなたにはわからない。
隠すものは無い。秘密は無い。
みんなに見せるものがないだけ」
究極的に一つのコモディテー化した世界では、
このような意識になるのかもしれない。
見せる物が無い、だから匿名性を維持したい。
納得できないようでいて、妙に説得力がある。
多くの人は、利便性に負けて匿名性を捨ててしまうが、匿名性のもつ人に見せられない・見える物が無いという事の気持ち・プライドが技術を凌駕したハッキングへ繋がるとはこれおかしなことか。
まとめ
”ほげる”的には、まあ普通の映画でした。
個人的には面白かったが、展開に今ひとつ面白みが感じられないため。
独善的評価[5段階]としては
映像・音楽 3
キャスト 4
ストーリー構成 3
初見で読み取れない謎 3
いつも通り、この映画の評価も毎度同じでが、 基本どんな映画でも大好きな”ほげる”としては、良い作品と思います。
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