オードリー・ヘップバーンの魅力をもう一度
63歳の若さで他界した、オードリーヘップバーン!
永遠の妖精として、銀幕を飾っていた彼女の魅力をスクリーンのワンシーンと共に、もう一度振り返りたいと思います。
こんな人が彼女だったらなとか、奥さんだったらなとか、考えるとモヤモヤしてしまう、
まさに「永遠の妖精」です。
オードリー・ヘップバーンその半生
オードリー・ヘップバーンは、ベルギーのブリュッセルで1929年5月4日に生まれ、
イギリス人の父とオランダ人の母で、ベルギーとイギリスの国籍を持っていました。
母親は、オランダ貴族の血を引く人物だそうで、オードリー・ヘップバーンの無邪気な気品のあるたたずまいも、そういう所から来ているのかもしれません。
父親は早くから、時代のせいかファシズムに傾倒し早から家を出て家族を捨てた。
母親とオードリーヘップバーンは、イギリスへ移住した後、母親の故郷のオランダへ移り住んだようです。
第2次世界大戦の間、オランダのアーネム音楽院に通いながらバレーを習って、才能を開花させていたのに、栄養失調に苦しみ貧血や喘息等にかかりほっそりしすぎた身体ではプリ・マドンナは難しかったようです。
オードリー・ヘップバーンの、晩年のユニセフへの貢献はこのだ2次世界大戦の時の記憶や体験から来ていたようで色々な回顧録から後悔と子供だった自身の無力さをコメントしています。
銀幕デビューからスクリーンの妖精に
戦後1948年頃から、舞台俳優を経て、銀幕へのデビューを果たしていきます。
舞台では、バレエ等を活かして活躍していていたようですが、1950年頃から映画にも出演をし始めています。パラマウントの『ローマの休日』の王女アン役のオーディションを受けて、見事に役を射止め、一気にスターロードを登っていきます。
オードリーヘップバーンの人生は、この後パラマウント・ハリウッド映画全盛期そのものと言っていいでしょう。
出演作(代表的なもの)
公開年 | タイトル | 主な受賞等 |
---|---|---|
1953年 | ローマの休日 | アカデミー賞 最優秀主演女優賞受賞 |
1954年 | 麗しのサブリナ | アカデミー賞 最優秀主演女優賞ノミネート |
1956年 | 戦争と平和 | |
1957年 | パリの恋人 | |
1957年 | 昼下りの情事 | |
1959年 | 尼僧物語 | アカデミー賞 最優秀主演女優賞ノミネート |
1960年 | 許されざる者 | |
1961年 | ティファニーで朝食を | アカデミー賞 最優秀主演女優賞ノミネート |
1961年 | 噂の二人 | |
1963年 | シャレード | |
1964年 | パリで一緒に | |
1964年 | マイ・フェア・レディ | |
1966年 | おしゃれ泥棒 | |
1967年 | いつも2人で | |
1967年 | 暗くなるまで待って | アカデミー賞 最優秀主演女優賞ノミネート |
1976年 | ロビンとマリアン | |
1979年 | 華麗なる相続人 | |
1981年 | ニューヨークの恋人たち | |
1989年 | オールウェイズ |
どれも名作ばかりですね。
ファッション界との繋がり
オードリーヘップバーンといえば、いつもおしゃれなファッションで人々を魅了しています。ファッションとして、ジバンシィとの関係です。
『麗しのサブリナ』から、ジバンシィがオードリーヘップバーンのファッションを手がけて終生変わらぬ関係でありました。
ジバンシィとの出会い
当初、ジバンシィはオードリーヘップバーンをキャサリン・ヘプバーンと勘違いして、ファッション担当を引き受けた為、映画に合わせた特注の服を作ることが出来ず、その年のファッションショー用の服からオードリーヘップバーンが選び抜いたところ、ファッションモデルが着こなすウエストサイズの服を完璧に着こなしたと言われています。
逸話
ジバンシィは、後にオードリーヘップバーンと出会って、35年間の交友関係で彼女のサイズは1インチも変わっていないと答えています。
もの凄いスタイルをキープし続けたという事は、彼女のストイックな性格も表しています。
きこなし、受賞さすがです
オードリーヘップバーンは、見てわかるとおり華奢な体つきと抜群のスタイルを誇るけど、当時のハリウッドでの常識とは違うスタイルでした。
当時のハリウッドでは、豊満な女性がスクリーンを賑わしている中、映画監督のビリーワイルダー(『麗しのサブリナ』監督)から、
「オードリーヘップバーンは、大きな胸を過去の遺物にしてしまうだろ」
とまで言われています。
そんな彼女は、
インターナショナルのベストドレッサー賞を1961年に受賞して殿堂入りしています。
家族とか恋愛とか
数々の恋愛もしていたようです、あれだけの美女ですから当然ですが公式に結婚したのは、
1954年 メル・ファーラー(俳優、映画監督、脚本家)
1969年 アンドレア・マリオ・ドッティ (一般人 精神科医) ヘップバーン40歳
と二人の子供をもうけています。
メル・ファーラーとの息子の子供が、
エマ・ファーラー(モデル)で、かなりの美人です。どことなく目元がオードリーヘップバーンにそっくりですね。
同時代を彩った女優達
オードリーヘップバーンがスクリーンで生きた、1950,1960年代で、スクリーンを飾ったのは絶世の美女ばかりで、こんななかでもひときわ輝ける、オードリーヘップバーンは、特別な存在だったと、今更ながらに思います。
女優 | 代表作 (個人的に好きなもの) |
グレース・ケリー | モナコ公国の公妃でも有名 泥棒成金 裏窓 |
シャーリー・マクレーン | 愛と追憶の日々 |
ドリス・デイ | 知りすぎていた男 |
エリザベス・テイラー | クレオパトラ ジャイアンツ |
デビー・レイノルズ | 雨に唄えば ※スターウォーズのレイヤ姫(キャリー・フィッシャーの母親) |
デボラ・カー | 王様と私 |
ナタリーウッド | ウエストサイド物語 |
マリリン・モンロー | 七年目の浮気 |
まとめ
すごいですよね。
この時代、この絶世の美女、名優達が揃う中でひときわ異色の可憐さ、無邪気さ、
気品を兼ねそろえているオードリーヘップバーン。
彼女の映画を見ていると、本当にドキドキします。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません