『JOKER』狂気なのか妄想か狂喜の世界観ネタバレ・考察と評価

2019-11-17

アーサー・フレック(Joker)はただ皆に笑って欲しい小さなたった一つの幸せが欲しかっただけなのに、狂った歯車から狂喜へ、そして狂気の発現。バットマンのジョーカーが生まれるまでの物語

バットマンの世界観の中で育まれるJokerのベース物語、超おすすめ!

あらすじ

物語は化粧台の前に座ってピエロの化粧をしている男のシーンから始まる。

男はどことなく化粧をしながら様々な思いを馳せているような表情をしてる。化粧をしているピエロがアーサー・フレック、後のジョーカーだ。

アーサー・フレックが暮らす都市はゴッサムシティ、洗練されているようで、どことなく荒廃した80年代~90年代を思わせる街並み、その中で大道芸人として暮らしているアーサーはうだつの上がらない生活をしている。

電気販売店のセールでピエロの格好で踊るアーサー、そんな彼が不良少年達に絡まれ暴行を受ける。暴行を受けたことによってアーサーは同僚から拳銃を護身用に渡される。全てはその銃から始まっていくのに。

心療内科の診察室で、カウンセラーと精神的な治療を受けてるアーサー・フレック。女性のカウンセラー相談員との会話を苦々しくも感じながら依存しているのに気がついている。

アーサーは緊張すると自然と笑ってしまう病気を患っている。
そんなアーサーに薬の打ち切りが告げられる

アーサーは年老いた母親と暮らし、病気を持っている彼女の楽しみは少なく、テレビのコメディアンショーを見る毎日。以前の知人富豪のトーマス・ウェインに助けを求め、 ウェインからの手紙を待ち続けている。

アーサー・フレックは病院への慰問で、同僚から護身用にもらった銃をパフォーマンス中に不注意から床に落としてしまう。 病院のパフォーマンスを見ていた周りの人達に、見られ大道芸人斡旋会社をクビになってしまう。


失意の最中、ピエロの化粧のまま地下鉄に乗っていると女性が3人のスーツの男に絡まれてるに出くわす。女性が、アーサーへ助けの目線を求めているところで、アーサーは緊張から笑いが出てしまい、奇しくも女性を助けることになる。スーツの3人は、アーサーに絡みはじめる。不良少年に殴られ蹴られてたのと同じように、アーサーは蹴られ殴られる。

あのときとの違いは、アーサーは本物の銃を持っていて、
憧れのコメディアンへの道を閉ざされ、薬も打ち切られ絶望の状態ににいることだ。

アーサーは立て続けに、その銃でスーツの3人を撃ち殺してしまう。地下鉄の現場、警察から逃げるさなかで、トイレで一人でダンスをしている自分にアーサーは、現実世界の”何か”から解放されている自分に気がつく。  

あらすじ 後半ネタバレあり

アーサー・フレックの狂喜はここから始まる。憧れの隣人のソフィーに殺人の余韻のままキスをしてそのまま関係を持つ。今までの自分にはあり得ない行動をしてしいく。

アーサーには守るべきもの、怖れるものがどんどん少なくなっていく。母親が気にしていた手紙の主トーマス・ウェインは母親が昔屋敷に仕えていた時の恋人で、その時に出来た子供がアーサーであると言うことを偶然知ってしまう。

アーサーはいてもたってもいられなくなり、トーマス・ウェインの屋敷へ行くが、執事に追い返されてしまう。このとき門越しに、アーサーがおどけて見せたの子供が、ブルース・ウェイン(後のバットマン)。

アーサーは自分は不幸ではない、何か一つ誇れるものが欲しくて、トーマスにどうしても事実を確認したかった。トーマスが緩衝している劇場に従業員に化けて忍び込み、トーマスがトイレに立ったときに、自分の思いをぶつけるのだった。

パパと呼ばせてくれ。そんなアーサーに
アーサーにトーマスは「母親とは何も無い、おまえは養子だ」と辛辣な言葉と拳をぶつける。

アーサーは、アーカム病院へ行き自分の出生記録を調べ、その事実に愕然とする。アーサーは養子で、母親は精神病で妄想癖。アーサー自身が母親の当時の恋人から虐待を受けていた。その時、脳に損傷を受けているのだ。子どのもの頃の記憶の母親からの言葉が、
       「常に笑いを絶やさないように」
その言葉が唯一彼を作っていた、その言葉をくれた母親との絆も血のつながりは無く、スーツの3人を殺した彼の狂喜が頭をもたげ始める。

ソフィに最後の慰めを期待して家へ訪問するが、彼女はつれない態度。アーサーを変質者扱いをする彼女は隣人としてさえも、うろ覚えなのだ。アーサーの全てが無くなって狂喜から狂気が始まった瞬間だ。これまでのソフィーは妄想か、何が現実なのか彼自身もわからなくなっていく。

アーサーは入院している母親を枕でおさえこんで、殺してしまう。大好きだったお母さん。

母親の好きだったコメディアンショーで、アーサーが滑ったパフォーマンスをしている姿を期待して、出演のオファーがあった。彼が面白いからというわけではなくて彼のショーを見ていたマレー・フランクリンが、彼を物笑いにするためのゲストだ。

ショーへ出演の前にピエロの化粧をしている時、元同僚の銃を渡してくれた友人が訪ねてくるが、アーサーは彼を殺してしまう。結局は彼らからさえもアーサーは物笑いで異質なのだ。自分と唯一仲良くしてくれた小男は逃がす。

警察もスーツ3人の殺しの容疑で、アーサーを追いかけはじめる。マレー・フランクリンショーに向かう家の近くのビルとビルの間の長い石階段で一人、ピエロショーをする。新たな狂気の始まりだ。マレー・フランクリンが楽屋の表れたとき、

自分のことを「ジョーカーと呼んでくれ」とそう依頼する。

ゴッサムシティーでは、スーツ3人を殺したピエロを絶賛し、富裕層への不満が爆発する暴徒であふれている。アーサーは自分の巻き起こしたムーブメントの熱気に当てられ、ショーに出演する。ショーではアーサーの笑いが滑るのを期待する雰囲気に包まれている。自分が3人のスーツを殺した犯人であることを告白する。そんなアーサーをマレー・フランクリンは糾弾した。

アーサーは「殺されたのが僕だったら、誰も気にしないじゃないか」と、マレー・フランクリンに銃を向け生放送の中で殺してしまう。ゴッサムシティーは、スーツ3人を殺したピエロ(ジョーカー)を自分たちの代弁者として迎えた。警察に護送されているアーサーをピエロの暴徒達が車をぶつけて助け、アーサーは気を失う。血だらけになったアーサーを車から助け出し、アーサーが意識を回復するの待つ。

アーサーが意識を回復すると、ピエロ姿をした暴徒が猛威を振るっていた。彼の復活をまち、アーサーはそれに応えて車のボンネットの上で、ピエロの化粧に自分で、大きくスマイルの口紅をひくのだった。

シーンはアーカム病院に変わり、アーサーはカウンセラーと話している。心の底から自然な笑みを向けている。

映画情報キャスティング

『JOKER』 2019年 アメリカ

監督 トッド・フィリップス
製作 トッド・フィリップス / ブラッドリー・クーパー
出演
 ホアキン・フェニックス 【アーサー・フレック/ジョーカー】
 ロバート・デ・ニーロ 【マレー・フランクリン】
 ザジー・ビーツ 【ソフィー】

トッド・フィリップス監督とブラッドリー・クーパーのコンビなのも見逃せない。ブラッドリー・クーパーとは『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』などで組んでいる。
コメディ映画から始まった二人の関係から、重いテーマの本作品が産まれるとは、Jokerの笑いのテーマを扱うところが皮肉たっぷりだ。

ホアキン・フェニックスは、『her 世界に一つの彼女』など、怪演を見せる。こういう一人称演技が光る俳優なのかもしれない。ロバート・デ・ニーロは元祖カメレオン俳優だ。

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アーサーとは何者か

アーサー・フレックの出自

アーサー・フレックとは、何者だろうなんだろうか。色々考えてみたが、やはり謎が多い。アーサーフレックの役どころの劇中の設定は、40-50代に見える。実際のホアキン・フェニックスが45歳で、そこから想像するとせいぜい同年代で、キャラクター設定としては妥当と思う。

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アーサーには、父親がいなく養子として、母親が引き取ったとなっている。

母親の恋人からは日々毎日のように暴行を受けて、その記憶をアーサーは無くしている。そして母親からは常に笑いを絶やさないようにとそういう風に言われ続けた。

後にそれがプレッシャーとなって過度の緊張すると笑いが出てしまうという、

笑い病もそれが原因で。本当のコメディーを理解できない、笑い病の患者というのも、笑える。

結局はトーマス・ウェインとなんの関係もなく、妄想癖のあるお手伝いさんの母親の作り話に人生を翻弄されていく。

笑いを扱うピエロの喜劇

本当の笑いというものが理解できないなので、笑いのポイントをメモをして色々笑い方を研究するアーサー・フレック。だけれども、やっぱり心のそこからの笑いには到達できなず、人まねでしかない。

”ピエロ”の仮面をかぶったときだけが笑いを考えなくても、彼の真実の姿が垣間見える瞬間かもしれない。

人を笑わせなきゃいけないピエロ。

笑いを理解しようとして、笑いのポイントがわからない、出来ない。でも緊張で”笑い”が出ているときにも、心の底・自然な笑いでは無く病気での発現。

最後にJokerとして、覚醒したとき狂気のピエロであっても、聴衆・オーディエンスの群衆から信服され崇拝されているJokerは、テレビやコメディーショーの中で笑ってくれている聴衆そのものに写っていることだろう。

アーサーが、結果的に”ピエロ”の力を頼ってしまって、心酔してしまっていくのはソフィーとの仲も妄想の設定になっていることからもわかる。ソフィーへの本心”ピエロの化粧”で猛烈なアタックが能だったのかもしれない。

※『シックス・センス』が 少し 入ったいたと思うのは私だけかもしれない

アーサー・フレックの正体とは

アーサーはどこから表れた、何者なのか?精神病院に入院していた患者であり重い重度の精神病でおそらく精神病棟に監禁隔離され入院していた。

薬がないので、医師に窮状を訴えていることからもわかるが、回復の兆しが見えたため、薬の接種で退院を可能にしたのだと想像する。
ここがポイントだと思う、劇中では薬の投与で退院した表現になっているが、実際精神病院に入院して、そのあと薬投入だけで済ますことの出来る患者はどのくらいいるのだろう。実際はまだ精神病患者で精神病院のベッドの上で、これら全てが妄想であるということも考えられる。

一度、アーサー・フレックはバスの中で少年を笑わそうとした。

別にやましい気持ちも何もなくただ純粋に自分を見てくれてる男の子に笑いってもらおうとしての行動だ。男の子は笑ってくれるが自分は笑えない。

男の子の母親から怪訝な態度を取られ、アーサー・フレックは言い訳をするが受け入れてもらえない。

そんなコントラストがアーサーの寂しさと、社会との接点が希薄な点が強調されている。

JOKERの世界観が表すゴッサムシティーの狂気

ゴッサムシティーのモデル

ゴッサムシティーとは、どういう都市なんだろうか。

DCコミックの原作解説書によると、ニュージャージー州に配置されていることが数十年にわたって研究され証明あれている。

ゴッサムの異名はニューヨークシティーからきているが、実際の映像の雰囲気は映画によって違うが、本作では、ニューヨーク風の1990-20年の雰囲気のように見える。

『ダークナイト』、『バットマン』ではどことなくマフィアはびこるシカゴのような街、労働者と富裕層の乖離、犯罪者がはびこるイメージがある。

『JOKER』の撮影はニューヨークで行われている。

『ダークナイト』では、ニューヨークのように川と海で囲まれた描写もされているので、都市の配置そのものは変わっていない。

労働者階級とハイソサエティーとの確執

本作では労働者階級のでデモ(ゴミ収集がされていない)とか、労働者階級と定義づけられる人々の登場が少なかったように感じる。

鬱蒼とした雰囲気はあるものの、市民は日常を普通に生きている。街を歩く市民に、ハイソサエティーと労働者の区別があるようには見えなかった。デモや警察への抗議をして言う人達がそれに当たるのだろう。

『バットマン ビギンズ』では、トーマス・ウェインはゴッサムシティーをなんとか健全な都市にしようと一人で頑張る億万長者で光の使者のような役を演じているが、本作のトーマス・ウェインは、明確に富裕層であり市長を狙っている。嫌なやつでさえある。

ピエロのデモが始まったのも、トーマス・ウェインがテレビで自分の会社の社員である、アーサに殺された3人のスーツを擁護したことが原因かもしれない。

人々の心は富裕層への反発心はもってはいるが、爆発していない。逆に言うと、Joker事件が発生するまでは非常にバランスの取れた都市であったかもしれない。

冒頭のシーンで少年達がピエロ(アーサー・フレック)が持つわずかばかりのお金を奪う。そこまで街は荒廃しているが、金持ちから奪うので無く、アーサー・フレックから奪うと言うことはハイソサエティーとの確執には見えない。

『ダークナイト ライジング』で描かれているような富裕層の奢り、特権階級の腐敗とかではなく、普通の現代都市のように感じる。
ちなみに監督のトッド・フィリップス監督のインタビューからは、70年代のイメージで描いたようだが、映像の雰囲気は現代に近く感じた。

歴代JOKERの評価

歴代のジョーカー比較する

  • 『バットマン』ジャック・ニコルソン
  • 『ダークナイト(シリーズ)』ヒース・レジャー
  • 『スーサイド・スクワッド』ジャレット・レト
  • 『ジョーカー』ホアキン・フェニックス

『バットマン』 ジャック・ニコルソン

個人的にはジャック・ニコルソンが一番コミックのイメージに合う。

『シャイニング』スティーブン・キングの名作、『カッコーの巣の上で』のあのイメージだ。アカデミー俳優として、その他にも多々名作へ出演しアカデミー常連だ。

喜怒哀楽の表現・表情が入り乱れて、最後に茶化す感じがイメージがぴったりくる。
”遊び”の要素が強く、最後の最後に余力を感じる。
遊びがあると言うことは、行き当たりばったりだ。

『ダークナイト(シリーズ)』ヒース・レジャー

ヒース・レジャーは、『ダークナイト』で怪演を見せるが、その後の映画の撮影中に麻薬とアルコールの大量摂取で亡くなっている。(2008)。

さすがのアカデミー主演男優賞ノミネート男優(『ブロークバックマウンテン 』 )で狂気を見事に演じきっている。

『ダークナイト』のバットマンは、張り詰めた糸のように繊細でそれでいて背後に何ともいえず謎を携えている。自分の利己的な欲求を計算ずくでこなし、計画通りに物事を進めていく。

『スーサイド・スクワッド』ジャレット・レト

ジャレット・トトのJokerはここで比較するのは、かわいそうかもしれない。

『スーワサイドスクワッド』の映画色と方向性にのっとったJokerの為、原作では同一でもバットマンシリーズのJokerとは世界観が違うと言わざるを得ない。
少し軽薄で、線が細く、若気の茶らさが見える。

『ジョーカー』ホアキン・フェニックス

本作では、ホアキン・フェニックスが演じるJOKER。

いずれのJOKERも狂気であるには変わりないが、映画の時系列仕立てとしては、ホアキン・フェニックスのアーサー・フレックが、最初の登場となる。

狂気の発現前だ。

マレー・フランクリンのショーの控え室での、

マレー・フランクリンの絵が、アーサーのジョーカーとしての目指した”笑い”
そのものなのかもしれない。

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ヴィランとしての比較

ヴィランとして考えるとどうだろう。
アメコミの世界であるヴィランと言う定義。ヴィランと言う表現が一般的になったのはJokerからでは無いかと思う。

狂気のジョーカーとして、比較するのであれば、ジャック・ニコルソンとヒース・レジャーをまず比較する。

    「正当なる狂気 vs 混沌の中の狂気」

そう分けられるのではないか。

ジャック・ニコルソンは良くも悪くも演技としの狂気、演技がうますぎる、どこを切ってもキムタクと同じで、ジャック・ニコルソンの枠を出ていない。

ヒース・レジャーは、好き嫌いはあるもののアンコトローラブルな狂気、ヒース・レジャー自身で制御できていないように見える。役作りに没頭し尽くしている。

既に他界してしまっているが仮に存命していても、同じ演技は出来ないのでは無いか?渾身の演技であり、まさに混沌。それほど鬼気迫る演技だ。

劇中の台詞でも、まさに「自分はカオス」であると言っている。

『Joker』とは

本作はヴィラン誕生ではあるかもしれないが、”狂気”への序章に過ぎず。他のJokerとそういう意味ではまだ比べられない。

ホアキン・フェニックスの演技Jokerとして、前作のバットマンシリーズまでの二人と比べると、狂気には至っていない。

どう狂気に染まっていくか、

身体的にも、精神的にも弱いコンプレックスを山のように抱え、社会から誰からも必要とされていないと思い、社会への関わり合いを求めている男なのだ。

こうして評価すると、社会に対しての向き合い方は、狂気前と狂気発現後でも同じ。
そんなアーサー・フレックを見事に演じきった。ホアキン・フェニックスはやはり素晴らしいと思う、内に抱えた2面性を“笑い”を通じて、覚醒させていく。

ここで疑問が出てくる。ジョーカーと言っても、”狂気”の種類がダークナイト後のジョーカーと違う。本作でのふれ込みでは、「ダークナイトのジョーカーが出来上がるまで」とうことだが、このジョーカーは、はたして同じJokerを指すのかすら疑問が残る。

先ほどの、ホアキン・フェニックスの実年齢からのアーサー・フレックの年齢推察から生年月日から考える。

ブルース・ウェインが大人になりバットマンになるころは、あと20年後としても、アーサー・フレックは60歳以降だ。年齢が合わない。

実はこのジョーカーのモデルは、『バットマン』 ・『ダークナイト』のジョーカとは別人では、無いか?

単にゴッサムシティーの”ピエロ”事件の起爆にはなったかもしれないが。

監督のトッド・フィリップス監督のインタビュー全体から、後述するラストシーンの考察ともからむが、本作はゴッサムシティーの世界の中で、誕生する狂気を描いたのであって、ジョーカーでは無い可能性がある。(後述)

ラストシーン考察 ネタバレあり

ラストシーンの考察を少し考える。ラストシーンは、いくつかパターンを想定ができる。

ジョーカーはゴッサムシティーのヒーローに成り上がり暴徒の犯罪者が護送車の中から、アーサーを救い出しボンネットの上でジョーカーとして、唇から頬に赤い血で化粧をして、踊る。

ゴッサムシティの狂気、犯罪の文字通りプリンスとして誕生した瞬間である。

その後のシーンで最初にあったシーン。

アーカム精神病院で、アーサー・フレックが心の内側から漏れ出た、たほくそ笑みをする。

その時に女性カウンセラーに「君にはわからないよ」としゃべっている。回想としては、ブルース・ウェインを一人残して、トーマス・ウェイン夫妻が暴徒(Joker事件で興奮した民衆)の一人に殺されるシーンに一転する。

さらに、その後はアーサーが病室から出て廊下を走って警備委員が追いかけますシーンだ。
女性カウンセラーの居室からの繋がりなのか、未来なのか過去なのかそれさえも読み解けない。

警備員から逃げ回り右の廊下左の廊下と走り回ることから、何か悪いことをしたとお言うよりは脱走している途中に見える。

これらのラストシーンが物議を醸している。ネットでも制作者サイドのインタビューからも、読み取れない。色々な考察も含めて意見が分かれそうだ。

いくつかラストシーンから、映画『Joker 』のパターンを考察してみる

精神病人に収監

アーサー・フレックは、Joker事件のあと警察に捕まって、精神病院に収監されたというベタな展開。その後、精神病患者として裁かれ、アーカム病院から出てくる。(20年後)その後は『バットマン』『ダークナイト』原作へ繋がる

『Joker』がアーサー・フレックの妄想

冒頭とラストシーンのみがアーサー・フレックの真実で、それ以外のほぼ全てがアーサー・フレックの妄想であったということはないか。

能性は0では無いが、全て妄想だとするとそもそも映画の意味が無くなってしまう。

ただ、ソフィーとの一幕を考えると、その可能性も少しはある。『シックス・センス』的に、今までが全て思い込みで妄想の世界

Joker ≠ アーサー・フレック

『バットマン』・『ダークナイト』のジョーカーとは別人の物語で、『タクシードライバー』(ロバート・デニーロなのも皮肉だが)等の、一般の男が狂気に落ちていく、ただ狂気を発現していくまでの映画であって、それ以上でも以下でも無いのでわないか。
『フォーリング・ダウン』のマイケル・ダグラスもそうだ。

Jokerの回想(ジョーカー身の上話)

時代設定として後の『ダークナイト』でのJokerの回想録としての映画。

『ダークナイト』のジョーカーは常に自分の口が裂けた理由とかをユーモアとして、人質に身の上話をする。その中の一つの妄想と、言うことは無いだろうか?
その身の上話は必ず毎回違っていて、自分がどうして笑うようになったのか、こういう顔になったのかということを説明をしたりする。

そこを考えると今回の、このジョーカーの映画そのものが彼が『ダークナイト』でブルース・ウェイン(バットマン)に語りかけている身の上として、一つの妄想を語っている世界では無いか?

”ほげる”Jokerラストシーン考察

ほかに、どういう評価とラストシーンを考えらるだろうか。
解釈について面白い話が合ったら是非教えて欲しい。

個人的に[Joker ≠ アーサー・フレック]はでないかと思っている。

DCコミックの原作の一つBATMAN:Killing Jokeではジョーカー誕生の話を扱っていて、本作のJokerではなく『バットマン』のジョーカーの成り立ちの方が近い。
コメディアンを目指していることは一致しているが本作とも違う。
一般的なただの”狂気の映画”と考えてもいいのでは無いかと思う。

まとめ

本作で、サイド色々な映画を関係再確認する必要が出てきた。新しい気付きがあるたびに、フィードバックをしていこうと思う。

きっと、本作品はわかった気になるだけで最終的には色々なテーマを扱っておりバットマンのエンターテインメント性やDCコミックの世界観だけではかたづけられない色々な物を背負っていると思う。

完全におすすめの作品で、絶対観て欲しい映画だ

独善的評価[5段階]としては
 映像・音楽      4
 キャスト       5
 ストーリー構成    4
 初見で読み取れない謎 4

いつも通り、この映画の評価も毎度同じでが、 基本どんな映画でも大好きな”ほげる”としては、面白い作品と思います。