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『イングリッシュ・ペイシェント』対比による美しさと儚さを見事に融合した名作:コラム的映画あらすじ評価感想・動画配信

2021-06-14

映画『イングリッシュ・ペイシェント』は1996年に公開されたアメリカの恋愛スペクタル映画!まさにアカデミーを取ってください言わんばかりの純文学から抜き出した映像をスクリーン用に脚色し、マイケル・オンダーチェ原作でアンソニー・ミンゲラ監督によるアカデミー9部門受賞の優秀作品

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映画ショートコラム あらすじ中心ネタバレ含む

最初にこの映画を見たのは、いつだったか、思い出せない。確か公開された当時にリアルタイムで見たような気もする。当時は、何も考えないで映画を見た気がするが、改めて見るとなるほど、名作な気がする。

気がするってのは、おかしなことだが、ストレートにみると退屈な展開にもとれるタンタンとしたストーリーで、今のドンパチやどんでん返しになれた目で見ると、一層退屈に見える。展開されるストーリーン背景が悠久のサハラ砂漠で展開されるのもあるかもしれない。。。

なんて、入りでらしくない郷愁のスクリーンへの想いで書き始めてみましたが。

本作は、アカデミー12部門ノミネート、世界の各賞を総なめにしたビッグタイトル。面白くないなどと口が裂けても言えないビックな映画です。

あらすじを紹介していきましょう

イタリア、トスカナの丘陵が見下ろす地に、廃墟となった修道院がぽつんと佇んでいる。ここでカナダ人看護婦ハナは、運命のいたずらによって、全身に深い火傷を負い、記憶を失った男と出逢った。彼は「イングリッシュ・ペイシェント」と呼ばれ、彼の過去を示す唯一の手掛かりは、古びた「ヘロドトス」の本だけだった。
ハナは、この謎に満ちた男性の側で、行軍に加わることを拒否し、修道院に留まることを選ぶ。この静かな避難所で、ハナ、カラヴァッジョ、キップという個性的な人物たちの人生が交差する。カラヴァッジョは手の指がなく、キップは爆弾処理班の一員。彼らは互いの過去を共有し生きる。
各々の生活を通じて、イギリス人の男は自分の過去を回想しながら思い出していく。自分は探検家で、サハラ砂漠を探検し、「泳ぐ人の洞窟」を発見したこと、仲間がいたこと、
そして、仲間の一人の婦人キャサリンと激しい不倫に溺れていたこと。。。

まあ、まあ、さすがアカデミー

序盤どうなるかと思いますが、アカデミー作品って、心に必ず残るものがある。ってのが私の持論。本作品もそれに漏れずに、言いも言えぬまったりとした満足感が残る作品です。

ただ、序盤から終始退屈なほどの展開!これは、わざとこういう演出をしているのには違いないだろうけど、退屈そのもの。それを織り込んでも素晴らしい作品で、淡々とした映像描写のいちいち刺さる美しさが素晴らしい。

映画全体的には、対比で構成されているため、見ている側からするとどれも明確なメッセージ性を感じることができます。

戦争・個々の人生、砂漠・オアシス、美しい男・火傷の男、美しい看護婦・爆弾処理係、砂漠・不倫

などなど、どれもこれもシチュエーション的には、この時代でよくありがちな設定にもかかわらず、”映える”、そんな表現がまさにぴったりだと思いますね。単純な設定にもかかわらず、ストーリー展開も、イギリス人の男の語りではなく、回想で展開されるストーリー。

回想が、ストーリーの感情的な核心を捉えている。

特に、アルマジ伯爵がハナに語りかける

「I once knew a girl who loved to hear stories…」

というセリフは、物語の中で繰り返し登場し、キャラクター間の関係や彼らの内面の変化を象徴しているんですよね。

このセリフは、過去と現在、愛と喪失が交差する点で、アルマシーの深い感情と記憶を表現している。

そのため、未来と過去、自分と人物の感情や行動に驚くほど接点を相互に持たせない、ストーリーの持って行き方が逆に素晴らしい。最期のシーンでハナがキャサリンの書いた絶筆をアルマシーに読み聞かせる、ここで唯一の接点が生まれ、思いが交差する唯一の瞬間だ。

そして、ラストシーン。

ラストシーンにおいては、アルマジ伯爵の生涯と彼の愛の物語が、感動的かつ詩的に結実する瞬間

飛行機で砂漠の上を飛ぶシーンは、アルマシーの自由への憧れと、彼が経験した愛の喪失を象徴している。このシーンは、映画の中で描かれる情熱的で悲劇的な愛の物語のクライマックスであり、観る者に深い感動を与えている。

映画は、美しさと悲しみが混在する愛の物語を、詩的な映像と深い感情表現で描き出し、観る者に強い印象を残すんだ。もうキャサリンもアルマシーはいない。

思いの一点が交差した瞬間なのに、それが死の瞬間

まさに刹那的な愛だけど、確かに結ばれた。。。悲しすぎるけどね。

豪華な出演陣 アカデミー

全体的に、思いたどってみればアカデミー級の出演者ばかり

ハナ(ジュリエット・ビノシュ)
アルマシー(レイフ・ファインズ) ※アルマシー伯爵
キャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)
ジェフリー(コリン・ファース)
カラバッジョ(ウイレム・デフォー)

すんごい顔ぶれです

原作はおいておいて、映画としてはストーリーとしては、2面性があり現在と過去の回想が素晴らしい

そして、過去の回想に大不倫の恋愛の愛想劇があり、その部分が純文なのでしょう。なのですが、個人的にはアカデミー級なのは実は現在の第2次世界大戦末期での恋人を失いながらもはつらつと生き、純粋に今を生きて、新しい恋に一喜一憂を繰り返す、ジュリエット・ビノシュが演じたハナが、アカデミー級なのではないかと思ってきた次第

とりわけ映画の美を考える
『ラ・ラ・ランド』の最後のダンスシーンでは、失われた恋の甘美さと苦さが画面いっぱいに広がる。まあ、このシーンの美しさと感動は、観る者の心に永遠に残ることだろう。

さすがの『タイタニック』においては、ジャックとローズの別れのシーンが観る者の涙腺を刺激する。その悲劇的な愛の物語は、誰もが知るところであり、なわけですよ、この映画が世代を超えて愛される理由がここにある。

などなど、映画界には感動の瞬間が溢れている。『グリーン・マイル』の終わりに近づくにつれ、主人公の運命に対する深い共感が生まれる。なーんて、映画が持つ力は本当に素晴らしい。

かくも美しい映画の中で、心を打つ感動の瞬間は数えきれないほど存在する。例えば、本映画『イングリッシュ・ペイシェント』の砂漠のシーンは、その壮大な景色と深い情感が見る者の心を捉える。ここで、映画はただの映像作品を超え、芸術作品へと昇華されるのである。

ジュリエット・ビノシュの、演技はスクリーンに映えまくっていて、行動も気持ちも、そして姿形さえも美しいです。

彼女の天真爛漫なふるまいを通じて、接点のないサハラ砂漠での恋愛劇をただの患者の頭の中の回想であり、戦争で死にゆく人々、亡くなってしまった人の中にもそれぞれの事情があり、戦争という誇大な名目でなくて不倫という愛憎劇の中で命を落とす人もいることを痛切に感じることができた。

逆に彼女以外が全部、悲哀で終わるんですよね。アルマシー(イングリッシュ・ペイシェント)という名前ひとつで、ドイツ人であることを疑われ、恋人が命を落とす悲惨さ、旦那に強制的に飛行機に乗せられ墜落し恋人に置いてけぼりくらい暗闇の中で死んでしまうキャサリン

そして、コリン・ファースという勿体ない使い方。飛行機に乗って不倫相手に特攻をかます嫉妬!『英国王のスピーチ』『アナザー・カントリー』のコリン・ファースですよ。。。

これら全てはジュリエット・ビノシュの演技を通して。現実の現在の世界に置き換わって、患者に成り代わる。

この辺が素晴らしいメタファーの繰り返しなんでしょうね。

総じて、一度は見る作品だと思います。

恋愛映画好きの人はもちろん、スペクタクル好きの人にも相性がいいと思います。

『イングリッシュ・ペイシェント』実話と物語の狭間で描かれる美しさ

『イングリッシュ・ペイシェント』は、マイケル・オンダーチェの同名の小説を原作としています。この映画は実話に基づいているわけではなく、オンダーチェの創作による物語です。

  1. 原作と映画の違い:
    • 映画は原作の基本的なプロットを忠実に追っていますが、いくつかの違いがあります。特に、登場人物の関係性や物語の流れにおいて、映画はよりドラマチックな演出を取り入れています。また、映画では特定のシーンやキャラクターの背景が省略され、視覚的な美しさと感情的な深みに焦点を当てています。
  2. 美しさの描写
    • 『イングリッシュ・ペイシェント』の映画における美しさの描写は、特に顕著です。映像は、戦時中の荒廃した環境と砂漠の壮大な景色を対比させ、登場人物たちの感情の機微を映し出しています。撮影地として選ばれたイタリアのトスカーナやアフリカの砂漠は、物語の背景として重要な役割を果たし、映画の雰囲気を豊かにしています。
  3. 映画と原作の共通点:
    • 映画と原作の両方で、愛と喪失、アイデンティティの探求というテーマが強く表現されています。物語の中心人物であるアルマジ伯爵("イングリッシュ・ペイシェント")の過去と、彼を取り巻く人物たちの物語は、愛の複雑さと人間関係の微妙なバランスを描いています。

そんなわけで、『イングリッシュ・ペイシェント』は、実話ではなく創作に基づいた映画ですが、原作の持つ深い感情的な要素と視覚的な美しさを巧みに映画化しています。

映画は、戦争の背景の中で展開する愛とトラウマの物語を、繊細かつ力強く表現しており、観る者に深い印象を与える作品となっています。この映画と原作は、それぞれ独自の方法で物語を語り、観る者や読者に異なる体験を提供しているんですよ

最初に見たときには、個人的に納得がいかなかったのは、二つほど

カラバッジョ(ウイレム・デフォー)の役柄が何の効果があったのか、ピンとこなかった。いなくてもいいような。。。恨みの種類を表したかっただけなのかもしれない。キャサリンの大恋愛に対しての突然の終止符も、よくわからない。原作を見ると細やかな描写はわかるとおもいますがね。

ただね、何度も観ることで、ここでもやっぱり対比なのかってことに気が付く。

カラバッジョの役割とキャサリンの大恋愛への終止符が、映画の深層的なテーマにどう結びついているのかが明らかになる。カラバッジョの存在は、単なる脇役以上の意味を持ち、彼の体験とキャラクターの変遷は、映画全体のテーマである愛と喪失、そして人間の脆弱さと回復力を象徴している。

彼の苦悩や身体的な傷は、戦争が人間に与える影響のメタファーとして機能し、他のキャラクターとの対比を通じて、映画に多層的な深みを与えている。

一方で、キャサリンの恋愛に終止符を打つ選択は、映画の中で繰り広げられる情熱的な愛の物語の中で、特に印象深い。

彼女の決断は、愛が時に複雑で痛みを伴うものであることを示しており、観る者に愛の本質について深く考えさせる。

カラバッジョの物語とキャサリンの恋愛の終結は、映画における対比として機能しており、愛と喪失、そして過去と現在の間の感情の緊張を強調している。カラバッジョの物語が示すのは、人生の困難や苦悩を乗り越える人間の強さであり、キャサリンの選択は、愛がもたらす複雑な感情の繊細さを表している。

このように、いちいち愛と人間関係の複雑さを深く掘り下げ、観る者に感情的な共感を呼び起こす。

カラバッジョの役割とキャサリンの恋愛の終わりは、映画の中で互いに補完し合いながら、愛と人生の複雑さを描き出しているんだ。

この映画は単なるラブストーリーにとどまらず、人間の感情の多面性を豊かに表現している作品と言える

そして、すごい微妙なところを表現しているのは、アルマシーの親友のマドックスが現地人の男性と、同性愛関係にある微妙な表現をしている。この時代のイギリス(世界中)まだまだLGBT的にも違法であったはずで、小さなところにも、細やかな表現しているところも、ちょび驚き

お勧めの映画ですと思う、今日この頃!

― hogeru -

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