『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』一つだけ願いを叶える代わりに支払う代償は自分自身!彼女達は何を思い戦うのか:コラム的映画あらすじ評価感想・動画配信
映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』3部作シリーズの最終章【新編】2013年公開のアニメ映画!熱烈なコアファンを持ち、いまだに語りつくされる。アニメ映画ながらも評価も高く映画としても必見の内容に仕上がっている
[showTable]映画ショートコラム あらすじ中心ネタバレ含む
アニメから見てきた私にとって、楽しみで仕方がなかった映画だった
ストーリーもさることながら、絵や音楽が素晴らしい、曲を歌っているClariSとKalafinaの声が本当に映像とストーリーにマッチしていて引き込まれてしまう。オープニング曲、エンディング曲だけでなく挿入歌やBGMにもこだわり、世界観をモチーフにした楽曲が使われストーリーだけでなく音楽も耳に残る作品になっている
劇中のストーリーは、前編後編を見てから新編を見る方が圧倒的に面白いので、ぜひ見てほしい!
物語は見滝原中学校に通う鹿目まどか、美樹さやか、佐倉杏子、巴マミがナイトメアと呼ばれる悪夢が具現化したものと戦う場面から始まる。
彼女たちは’キュウべえ’という生き物と’契約’し魔法少女となったのだ。キュウべえが少女たちの前に現れ、こういうのだ。『僕と契約して、魔法少女になってよ。僕なら、どんな願いでも叶えてあげられるよ』
これだけを見ると、え!いいことじゃないか!と思う人もいると思うが、願いを叶える代わりに、永遠に敵と戦わなければならなくなる
前編後編を見ていない人は、ナイトメアと戦うということかと思うだろうが、本来であれば’魔女’と呼ばれる存在と戦うことになるのだ。魔女は人間には見えない存在で、災いを起こしたり人を不幸にする存在であり、影響を受けると事故や自ら命を絶つこともある危険な存在だ。
戦いに終わりはなく、存在する限り戦い続けなければならないのだ。魔法少女と呼べる年齢ならまだいいが、40代でも魔法少女はさすがにキツい…魔法中年と言ったところか…
そして付け加えると、魔法は使えるが無限に使える訳では無いのだ。キュウべえと契約することで、生み出される’ソウルジェム’と呼ばれる魂を具現化した物が与えられるのだ。
ソウルジェムは、綺麗な宝石のような色をしているが、魔女と戦うことや負の感情によって’穢れ’が溜まることで濁っていく。これを浄化するには魔女を倒すことで得られる魔女の卵、’グリーフシード’を使う事で浄化できるのだ。ソウルジェムは魔法少女の魂であるため、傷ついたり穢れが溜まりきることで魔法少女ではいられなくなってしまう。穢れが溜まりきることで魔法少女は魔女へと変わってしまうからだ。
しかし、この事実はアニメ版の際にキュウべえからまどか達に伝えられるのだが、ほとんどの魔法少女が知らない事実であり、それをキュウべえから伝えられずに契約することになってしまっている。
この新編でも、この事実はとても大切になるので覚えておいて欲しい。
魔法少女系の話で私が1番に思い出されるのは’おジャ魔女どれみ’だ。
この作品ではどちらかと言うと、魔女という存在に憧れて修行し一人前の魔女を目指すというものだ。今回のまどかマギカと魔女の設定の違いが明らかである。まどかマギカでは、魔女は絶望を撒き散らす負の存在として描かれているからだ。
そして、おジャ魔女どれみと魔法少女まどかマギカでは、年齢対象の違いがあるというのが1番ではないだろうか。おジャ魔女どれみでは、3歳から8歳の対象とされているのだが、まどかマギカに関しては年齢が定められておらず、劇場版公開時に魔法少女のお話と思ってみた親子が、映画の内容を見て子供が泣きだしたという報告が相次ぎ、年齢制限を付けるべきと言った話が出たこともあった。
まどかマギカでは、魔女に人が食べられたり、
血が出たりとグロな部分もあり小さい子供には不向きと言えるだろう…
さて、ストーリーに戻るとしよう
まどか達がナイトメアを倒した次の日、転校生の暁美ほむらがやってくる。暁美ほむらも魔法少女であり、時間を操る魔法の使い手だ。まどか達と共にナイトメアと戦う日々を過ごしていく中で、ほむらは日常に違和感を覚えていくのだ。
『私たちの戦いは、こんな感じだったっけ…?』と。転校してきてからナイトメアが出現する度にみんなと協力して敵を倒し、学校ではみんなとご飯を食べたり授業を受けたりする日々。具体的に何が違和感なのかは分からないものの、その事を杏子に相談し、調査を開始することに。すると、杏子自身も記憶におかしなことがあることに違和感を覚え、バスにのり隣町へ行くも見滝原市から出ることが出来ず同じ場所を繰り返し行き来しているだけということが判明する。ほむらはさらに調査を行い、これほど強力な力で見滝原市の中に閉じ込め、みんなの記憶を捏造できるのは魔女しかいないと考えた。そこで、長年見滝原市でナイトメアと戦っているマミが飼っているペットである’ベベ’が怪しいと睨む。記憶を少しずつ取り戻したほむらは、ベベはマミが戦ったお菓子の魔女であり、本来ならばマミは敗れこの世に居ないことを思い出した
のだ。お菓子の魔女…。お菓子を投げたり出現させたりできるのだろうか。お菓子好きな私にとっては少し遭遇してみたい魔女だ…。あ、でも遭遇したらやられてしまう…
まどかと共にマミの家にお茶をした際に、マミが席を立った隙を狙いほむらは時間を操作し時を止める。ベベを連れ出し、これはどういうことかと拷問するが、マミはほむらに術であるリボンを結んでいたことで時間停止の魔法を受けずべべを救出する。ほむらとマミが衝突し、激しい銃撃戦となるのだが、このシーンの作り込みが本当にカッコいいのだ。ほむらは時間操作と銃火器を使用する魔法少女であり、マミもマスケット銃の使い手だ。そしてマミのマスケット銃の弾丸は魔法で作り出されており魔力があるうちは無限に作り出せる。激しい打ち合いをするごほむらの魔法で弾丸はお互いのはなった弾丸がぶつかり合う寸前で全て停止していて、ほむらが術をとかない限り動かないのだ。術を解いた時、全ての弾丸が動き出すが見事に2人には当たらず弾丸同士が弾かれ勝負は平行線をたどる。
この時の2人の勝負の表情は、本当は相手を殺すつもりはないがわかってくれないのであればやるしかないという感情が読み取れる表情をしている。
お互いを見つめ、悲しいような辛い様な複雑な表情を見せるのだ。しかし、ここで本気で行かなければ自分は死んでしまうかもしれないなら、やるしかない。戦うしかないという感情で、銃を握っているのではないだろうか。
ほむらはやっとの思いで足のリボンをときマミの時間を止め、身動きが取れないようマミの足に弾丸を打ち込み術をとくがマミに見抜かれておりリボンで拘束される。そこでほむらはおかしい事に気が付かないかと問うと、マミも自分の記憶のズレを感じていく。
マミが記憶のズレに気づき始めた時、ほむらはさやかに助けられる。しかし、ほむらはさやかは魔女になっていて、この世には存在しないはずだと思い出しており、どうして生きているのかと問いただす。さやかはその事には触れず、この世界は魔法少女にとって都合が良すぎる世界であること、私たちの中にこの世界を望んだ者がいると伝えられる。それはつまり、魔法少女の中に魔女がいるということだ。
ほむらは記憶を思い出し、かつてまどかは魔法少女が魔女になることを止めるために神となり、円環の理というシステムを作り世界を作りかえたことを思い出す。その影響で、まどかの存在を知るものは時間操作の影響を受けないほむらのみしか知らないはずなのだ。
つまり、まどかを知っているものたち全ては’偽り’ということだ。そしてほむらは、それを望んだ魔法少女は自分自信であり、穢れが溜まり魔女になっていたことに気がつくのだ。それに気づいた時のほむらは、一体どんな気持ちだったのだろうか。みんなを巻き込み、偽りの世界で暮らし、自らつくりあげた世界が偽物だと気づき…
その事実だけで絶望し魔女になりえることだろう
自分がこの世界を作り、みんなを巻き込んでいると知った時、人はどんな感情になるのだろうか。みんなを巻き込んでしまったという罪悪感、自分が引き起こしてしまった事態に対する自己嫌悪…
元の世界で、穢れがたまり円環の理へと行くはずのほむらは、キュウべえたちによりソウルジェムが干渉遮断フィールドに入れらてしまっていたのだ。それにより、ソウルジェムの中でほむらが世界を作り出してしまっていたのだ。それを止めるために、円環の理の一部として導くためにまどかによりソウルジェム内にさやかとべべが送り込まれていたが、ほむらはまどかをキュウべえの思い通りにはさせないと魔女化し、ソウルジェムの中で果てることを選ぶ。
ほむらは、円環の理であるまどかを本当に大切にしており、アニメや映画でもわかるように心から大切にし愛していた。その証拠に、アニメ版では数え切れないほどの時間を巻き戻し、まどかを救うことを試みてきたのだ。何回もまどかが死ぬところや魔女になるのを目の当たりにしてもなお、助けるために時間を繰り返すほむらは心が強すぎる…
挫けたくなることもあっただろう…
マミや杏子、さやかやベベ、そしてまどかにより干渉遮断フィールドは壊され、まどかがほむらを導きにやってきた。しかしほむらは、手を差し伸べたまどかの手を掴み、円環の理で一部である記憶を剥ぎ取ってしまう。ほむらは魔女ではなく、’悪魔’として生まれ変わり世界を再編していく。これが、’叛逆’ということだろう。
まどかへの愛によって悪魔となったほむらは、まどかたちと共に見滝原市での新たな生活を送るが、まどかが円環の理の記憶を取り戻しそうになるとそれを阻止する。
ほむらはまどかに、’秩序’と’欲望’どちらが大切かと聞かれる。それはつまり、ほむらがしてしまったことは良いか、悪いかと聞いていることと同じなのだ。まどかは秩序と答え、いつか敵対することになるかもしれないと告げ、円環の理になった際に預かっていたリボンをまどかに返すのだ。
この時、ほむらは自分のしてしまったことを悔やんだのではないかと思った。愛という気持ちで、まどかを自分のものにする為にしてしまったことはまどかにとっては望むものでは無いから。リボンをまどかに返したのも、あの頃の私ではないと伝えたのではないだろうか。まどかが円環の理として機能できなければ、魔法少女たちは救われることなくまた魔女になってしまうだろう。そんなこと、まどかは望んでいないと思うのだ。まどかがキュウべえにした願いは、’過去も未来からも、全ての魔女を消し去ること’だったから。
ほむらは、いずれ記憶を取り戻すかもしれないまどかと敵になることに脅えながら暮らしていくのだろうか。そのとき、まどかはほむらになんていうのだろう。
きっと優しい笑顔では接してくれないのではないかと思ってしまう。だって2人は、敵同士になってしまうのだから。
もし、私がキュウべえに魔法少女になってよと言われても、丁重にお断りだ。
― hogeru -
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