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『望み』加害者と被害者、正解のない問いに翻弄され痛切な余韻が残るサスペンス!:コラム的映画あらすじ評価感想・動画配信

2021-03-16

映画『望み』は原作が小説のサスペンススリラー、いやヒューマンドラマと言っていいでしょう少年犯罪に巻き込まれた息子が加害者と被害者の間を揺れ動き無実と無事を祈る気持ちの交差していく模様を映画化しています

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映画ショートコラム あらすじ中心ネタバレ含む

『望み』
正解のない問いに翻弄されながら、いつの間にか引き込まれる・・・痛切な余韻が残るヒューマンサスペンス!

「愛する息子は、殺人犯か、被害者か。」
「あなたなら、なにを望みますか?」

と問いかけてくるポスターのフレーズ!

それに応えるように、一登や貴代美に自分を重ね合わせた人が多かったのではなないか・・・と思います。
家族の在り方を問う、そんな、いい意味でとても日本的な作品であると感じる

自分に、家族に自信を持っている人こそ見てほしい作品で、もし、あなたの家族に同じようなことが降り掛かったら? 

あなたなら何を「望む」か!

タイトルにはそんな意味が込められている

建築家の一登(堤真一)、その妻貴代美(石田ゆり子)、高校生の息子、規士(岡田健史)、受験生の娘、雅(清原果耶)は、一登の設計した立派な一軒家に住む幸せな家族です。


ある日、理想的に見えていた家族の暮らしが一変していく、怪我でサッカーを引退し夜遊びが頻繁になった規士が夜に出かけたまま失踪してしまう。その直後に警察が訪れ、規士の同級生が遺体となって発見され、規士が事件に関与している可能性がある事を告げていく

規士が帰ってこないのは、加害者だからなのか、
それとも帰ることができない被害者だからなのか。

たった数日の間に、事件の報道が始まり過熱し、周りの人達は規士が加害者であるという風潮が形成されていく。玄関に投げつけられたいくつもの生卵、落書き!迷惑や家族の気持ちを微塵も考えないで家に押しかけるマスコミ。

突然、息子が犯人か被害者であるという事を突きつけただけで、
警察は何も教えてくれない。
世間の無責任な悪意に押しつぶされそうな一登、貴代美、雅。焦り、戸惑い、不安で極限の精神状態の中、家族はそれぞれの「望み」を強くしていきます。

「息子が犯人であるはずがない。」
幼い頃の心優しい息子の記憶が
一登の気持ちを強くします。
犯人ではない事を望む一登。
だが、犯人でないと言うことは「被害者」であるという事。
一登の心は揺れます。

一方、犯人か被害者という可能性しか残ってないならば、
たとえ全てを失おうと規士が生きていることを全力で望む、貴代美。

自分の将来に不安が募り、
「お母さんの前じゃ言えないけど、お兄ちゃんが生きていたら困る」 と、
父に本音を漏らす妹の雅。

数日前までの理想的な家族は、
音を立ててガラガラと崩れていきます。

そして、心を引きちぎられるクライマックスへ!

この映画の中で一際目を引いたのが、苦しいほどに息子を愛する貴代美の姿。
微妙に揺れ動く気持ちの一登に対し、
「生きてさえいればいい」と、
一貫して息子の生存だけを願う貴代美。

貴代美が「規士が逮捕されるかもしれない。お腹を空かせているはずだから、お弁当を差し入れてあげないと」
と、突然一心に料理を作り出すシーンがあります。

「トントン」と野菜を切る包丁の規則的な音
「グチャグチャ」とハンバーグらしき物を捏ねる音

いささか、ストーリーあらすじが長くなったが、全体的に重厚な空気感の中で進み、終末に向かって家族の気持ちをえぐるような描写は、さすが堤幸彦監督!『人魚の眠る家』『悼む人』の雰囲気とも重なる

話を戻そう。その貴代美の調理する時の音と、彼女の姿が重なってカメラから目線に映りこんできたときに、見ている側にリズム感と同じ数だけ、不安・恐さ・希望など複雑な感情が伝わってきた。

ピリピリとした怖さを感じるほどだ

怖いほどの母の愛を見事に演じている石田ゆり子は、繊細さと強さの両方を表現しホントに素晴らしかった。『悼む人』以来の堤幸彦監督との相性もいいのだろう

規士役の岡田健史が演じる、微妙な年頃ならではの危うさも良く、彼の存在感が非常に大きく、単なるイケメンではなく、何かを感じる!これからの岡田健史に大きな期待を抱いてしまうのは、私だけではないはず

脚本は『八日目の蝉』の奥寺佐渡子さんとだからこそ、監督がの堤幸彦さん、
場面ごとの深みそのものが、重畳されていく感じが映画に逆に生々しさを与える

その深さを感じるひとつ目
マスコミに惑わされた他人によって、
生卵が投げつけられ家が汚される様子と、
残された家族がガラガラと崩れていく様子。
「立派な家」は簡単に汚れ、「理想的な家族」は一気に歪みだす

一歩引いてこの映画を思い起こした時、並行して描かれた「家」と「家族」に気づく、形と血のつながり、様々な関係性を引き出していく深い描写だ

そしてもうひとつ。
マスコミやそれによって感情を流される側の社会の描写。昨今のSNSなどにも言える事ばかりだ

そう、この映画が観る人に問いかけているものは、家族の在り方だけではない、今の社会で加速する恐怖。
私たち自身がマスコミに流され、勝手な正義感を振りかざし、
知らぬ間に加害者側になっていないか!?むしろそれがこの作品の本当の核心のような気がする

― hogeru -